*ラヴァーズ チェア*

 

 


年越しそばの、えびの天ぷらが半分になるくらいまではよかった。東五はそばつゆの油でうすい唇をてかてかさせながら、

 

「一年ってすごく早いよな」
 
と、何度目かになるせりふを、機嫌よく繰り返していた。
トラットリア・ロッソも元旦だけは休みだ。サラリーマンの東五は何日か前に仕事納めを終えていて、始まるのも少し先である。

 

「実家帰んなくていいの? どうせ俺は二日から仕事だし、泊りででもいってくれば」
 
気の利いたせりふの一つでも言っておくべきだろう、くらいの気持ちで言った。揃いで買った紺色の箸でそばを持ち上げた東五が、「いいのいいの」と首を横に振ることはわかっていた。

 

「何度言わせるんだよ。せっかく宝と一緒に過ごせる正月なんだよ? どこにもいきたくないんだ。それに、実家なんか電車で一時間くらいなんだから、わざわざ正月に帰る必要ないって。どこかしこ混むしさ」
 
な? と言って首を傾ける東五は、ラルフローレンの赤いニットを着ている。普段は黒・グレー・ベージュくらいしか身に着けない東五だが、そのニットは気に入っているらしい。
初めて着ているのを見たときに、「可愛いよ」と褒めたからだと思う。「似合うじゃん。俺専用のクリスマスプレゼントみたいで」細くて茶色い髪に指を絡ませながら耳元でそう囁いたときの、ほわっと染まった東五の頬の色を思いだす。そのときは、すぐに脱がせてしまったのだけれど。
東五は可愛い。いままで付き合った、どの女の子よりも男よりも可愛い。顔かたちのことを言っているのではない。顔ももちろん可愛いけれど、俺が言いたいのは、褒められた服を何度も着るところとか、「デパートの高級お節とかちょっと興味あるよな」という何気ない一言だけで、あちこちから集めてきたカタログと深夜まで睨めっこするところとか、”わざわざ正月に帰る必要ない”実家に、「今年は帰れないんだ。うん、ばあちゃんにも、ごめんって言っておいて」と、きちんと連絡を入れているところとかだ。
東五がデパートで奮発して買ったという大きなえびの天ぷらを、がぶり、と噛んだときだった。    
俺がテレビ画面を見ながら、

 

「俺、結構この子タイプ」

 
などと言ってしまったのは。

 

「ん?」

 
膨らませた頬をもしゃもしゃ動かしながら東五がテレビに視線を遣った。俺のどんぶりはすっかり空になっているのに、東五のそれにはまだたっぷりと麺も汁も残っている。食べるのが遅いなんて子供みたいだ、と思う。久しぶりに開けたワインを傾けながら、俺は自分の犯したミスに気付かないまま続けた。

 

「あ、ほら、また映った。あの、白い衣装のさ、黒髪の男の子。可愛くね?」

 
画面には、毎年恒例になっているアイドル事務所の年越しコンサートのようすが生中継されていた。華やかな衣装を着た青年や少年が代わる代わるでてくるのは、特別誰のファンというわけでなくても見ているだけでなんとなく愉しい。歌のタイトルもグループ名もわからないのに、ときどき口ずさめる曲がある、というのも面白い。

 

「……どれ?白い衣装の子、いっぱいいるじゃん。全部同じに見えるよ」

 

真面目に言う東五に、ぶはっ、と俺は笑った。

 

「お前、全部同じに見えるとかおっさん発言じゃん。よく真ん中に映る子だって」

 

少し冷静になって考えてみればわかったことだった。東五が可愛いのは、俺に好かれようとして必死だからだ。こちらが気恥ずかしくなるほど素直で、すぐに照れ、よく泣き、よく笑って、よく拗ねてよく怒る。
東五が箸をテーブルに置く、かちゃ、という音が妙に静かで、俺はそこでやっと「しまった」と思ったのだった。

 

「おっさんだし。俺」

 
東五の怒り方には段階があって、一番軽いものが、唇を突き出して不服そうにしているときだ。その次は、眉根を寄せて恨めし気に瞳を潤ませているときで、一番本気なのが、静かな声と表情のときだ。贔屓にしている洋服屋の店員と、実は昔ちょっと付き合いがあった、というのがばれたとき、東五は恐ろしく静かだった。整った顔をしているぶん、表情がなくなると結構こわい。

 

「東五」

 

「ごちそうさま」

 

「冗談だろ」

 

「わかってるよ。風呂、入る?入るならお湯ためるけど」

 

立ち上がった東五の腕を無理やりに掴むと、すんとした顔で振り返られた。綺麗な二重瞼。結構高い化粧品を使って、一生懸命ケアしているらしい肌と、最近美容院に行ったばかりの髪。身体のまわりに見えないバリアを張って、全身で俺を拒絶しようとしている東五。
不思議だなと思うのは、東五が臍を曲げるとひどく面倒で疲れるのに、それと同じくらい愛おしくなってしまうことだ。静かな表情に、その皮膚の内側に、どんな感情が渦巻いているのだろうと考える。そうして、それをひん剥いて見てみたい、とも。

 

「どのへんが気に食わなかったわけ? 芸能人を可愛いって言ったこと? おっさんだってからかったこと? それともべつのなんか?」

 

「……」

 

「そりゃ、気に食わない話題だったかもしれないよ。でも、一年の最後の日に腹立てるようなことなの?」

 

まくし立てる、というふうにならないように。でも、口を挟む隙を与えないように、俺は言う。
両方の手で東五の両肩を掴み、ゆっくりと正面を向かせると、案の定口を開いた状態で固まっていた。笑いだしそうになるのを堪える。

 

「俺と一緒に過ごせる大晦日、楽しみにしてくれてたんじゃないの?初詣行こうって言ってたのに。それも嫌になった?」

 

「それは、」

 
真ん丸に見開かれた瞳がじんわりと潤み始めたので、してやったり、と思った。掴んでいた手を離すと、東五のほうから慌てて抱きついてくるのがおかしかった。笑いだしそうな気持が七割なのに、どうしてだか、東五が胸の中に入ってくると、何度でも馬鹿みたいに感動してしまう。世界一鬱陶しいカップルはどこにいるかと訊ねられたら、憚らずに両手でも上げたい気分だ。馬鹿みたいでいられるというのは、なんて幸せなことなんだろう。

 

「もう怒ってない?」

 
後ろから抱きかかえるようにしながら、ソファに座った。真っ赤なソファは、中古のインテリアショップで一目惚れして買ったものだ。玄関のドアからの搬入が危ぶまれたくらいでかいそれは、でも男二人で寝転がるにはやはり小さい。俺は中途半端に膝を曲げ、無理やり東五を腿に座らせる。

 

「……怒ったわけじゃなくて、気にしてるからさ、俺」

 

「なにを?」

 
俯いているので、東五がどんな顔をしているかはわからなかった。首にキスをしたりいやらしく胸を撫でたりしながら、

 

「なにを気にしてんの」

 
ともう一度訊く。

 

「やっぱ、若い子のほうが、いいだろ?……可愛いし。肌とか全然違うし」

 

声が微かに震えているところを見ると、どうやら真剣に悩んでいるらしい。一体なにがそんなに気になるのか、理解不能だ。俺たちはまだ二十代だし、東五はもともと童顔で、実年齢より幼く見える。仕事が立てこむと肌にはでるけれど、本人が気にするほどではない。それなのに、化粧品を変えてみたり、長続きしないジムに通ってみたりと、東五はいつも見た目ばかり気にしている。

 

「宝はいつまでも若くて……仕事柄体力もあるし、俺なんか、」

 

「そんなことない」

 
俺は言いながら、東五の耳たぶを噛んで、ニットの下に着ているシャツをデニムから引っ張りだす。そんなこと、というのがどんなことなのか、実は自分自身よくわかっていない。若い子のほうがいいだろ? に対しての、そんなことない、かもしれないし、宝はいつまでも若くて、に対しての、そんなことない、かもしれない。
なんでもいいのだ。結局、俺は東五を腕の中に入れてしまえば、抱きしめてぐずぐずにしてしまうことしか頭にはないのだから。ほんとうのことを言えば、東五の話も半分くらいしか聞いていない。「さっき言っただろ」と、あとで叱られるときもあるけれど、仕方がない。こればっかりは。

 

「たから、おれ、そば……」

 
食べかけなんだけど……、と東五が小さな息と共に漏らした。「うん」と答えながら胸の突起を探り当てると、東五の体重が徐々に俺に預けられていく。そばを食べるのを放棄したのは東五のほうだ。

 

「冷めるし、のびる……」

 

「うん」

 
デニムの上から触れたそこは、次の段階をきちんと期待していた。指や手のひらを使ってゆっくり撫でると、東五がくすぐったそうに身を捩る。
生まれたばかりの生き物みたいな反応に、胸が締めつけられる。

 

「……とし、あけちゃうよ」

 

「うん」

 
口ではそんなふうに言うくせに、ベルトを外してデニムを下ろすとき、脱がせやすいように腰をほんの少し浮かせるのがおかしかった。堪らずに耳元で小さく笑うと、照れ隠しなのか身体を反転させて抱きついてきた。
押し倒されたような格好になりながら、笑ったままの唇で受け止めた。指をひっかけて下着を下ろしてやると、そそり立った中心が俺の腹に当たる。熱さと質量を素肌で感じるために、窮屈な状態のまま服を脱いだ。唇が離れる瞬間に唾液の絡む音がした。
部屋は煌々と明るい。「電気を消して」という女子高生みたいな恥じらいを見せるときの東五も好きだけれど、いまみたいに、そんなことはすっかり忘れて乱れている東五も好きだ。
東五にとって、時間の経過はそんなに恐れるものなのだろうか? 
若さを失うことは、そんなにネガティブなことか?
よくわからない、と思いながら視線をずらすと、先ほどの、結構好みのタイプのアイドルが歌っていた。大写しになったその顔は、目も口も鼻も、東五によく似ていた。これくらい若い東五に出会っていたら、と思ったら、彼の体内にすっぽり収まっているものが硬くなるのが自分でもわかった。

 

「――っ!なに、たから、」

 

びくっと身体を波打たせて、東五が力なく上半身を起こそうとする。

 

「あ、悪い。痛い?」

 

「痛くは、な、ないけど、」

 

「うん。気持ちいいな」


誤魔化して笑った。汗をかいている前髪を掻き上げてやると、東五は肩で息をしながらも、こくん、と頷いた。
若さを気にする東五が理解できないと思ったのに、若さにわかりやすく反応した身体が後ろめたかった。心の中で苦笑いをしながら、お詫びのつもりでゆっくり腰を動かすと、恍惚とした表情の東五が大きく唾を飲みこんだ。瞼を閉じて、熱に浮かされた顔で動きを合わせてくる。餌を欲しがる小鳥みたいに舌を覗かせているのが、いやらしくて可愛い。ちょい、と人差し指を入れてみる。
結局腕に力が入らないらしく、俺の身体にぴたっと重なったまま、小さく二度ほど痙攣して東五は果てた。呼吸が整うのを待ってから、繋がったまま、東五の身体ごと上体を起こした。腹の上に散らばった粘着質の液体が、どろ、と下に流れてゆく。
足を持ち上げなおして腰に力を入れると、テレビから、「ハッピーニューイヤー!」という妙に明るい声が聞こえてきて、状況の間抜けさに笑えた。身体は萎えるどころか、体内に溜まっている自分の熱と、収縮する東五の熱とでどろどろに溶けそうなのに。
リモコンが見当たらなかったので、あけましておめでとうございまーすっ、とか、今年はどんな年にしたいですか?とかいうやたらに爽やかな声を聞きながら東五を揺さぶった。一度果てて、柔らかい果物みたいに、それでいて敏感になっている東五は、若いアイドルなんかよりも断然可愛い。俺にとってはね。
目の前にいるのが、東五だ、ということが大事なんだと思う。可愛い、も、気持ちいい、も、最終的には、東五と一緒にいるから感じられるものなのだ。そんな俺の気持ちには、年齢なんか追いつけない。時間なんかちっともこわくない。
そう言ったら東五はたぶん、困ったように笑うけど。
ずっと一緒にいような、と心の中で呟く。クリスマスも呟いたし、バレンタインもホワイトデーもお互いの誕生日も呟いた。誓いの言葉ばかり考えている世界一馬鹿なカップルはどこにいると訊ねられたら、手も足も上げたい気分。でも、俺はずっと東五の隣で、馬鹿でいたい。
可愛さにきゅんとしたり、うじうじする姿に面倒くささを感じたり、相性のいい身体の前でぐだぐだになったりしながら。
第二ラウンドか、初詣に備えるか、キスをしながら考える。吸いついてくる東五の赤い舌を視界に捉えたら、初詣を選択するのは難しそうに思われた。
なにはともあれ、ハッピーニューイヤー。祝う名目なんて、なんでも構わない。
お前が笑っていれば、いいよ。俺はね。

 

 

 

 

 

fin.
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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