*真夜中のお城*

 

 

 

パパは愛妻家で、ママはパパにべったりだ。ぼくは大事に育てられた一人息子だけれど、彼らの寝室に入れてもらったことはない。記憶にある限りは一度も。とてもゴージャスな、ぼくからすればやや悪趣味なほどきらびやかで大きなベッドのあるそこは、パパとママだけのお城だった。彼らはもちろん中年だが、寝室ではいつまでも王子さまとお姫さまだった(のだろう。見たことはないから予想だ)。

 


ぼくはぼんやりと天井を見上げている。実際の色は白だけど、深夜で、カーテンが閉め切られているため部屋は暗い。だから視界は全体的に重いグレイだ。
――寝室っていうのは――と、瞬きを繰り返しながら考える。寝室っていうのは、とても神聖な、或いは個人的なものだと思っていた。簡単に入れないところだと。相手に〝特別な感情〟がなければ招き入れない場所なのだと。
なんの変化もない天井のようすに厭きて寝返りを打った。視界が一瞬にして真っ黒になる。真っ暗ではなく、真っ黒。ぼくの体重移動でベッドがやや軋んだが、隣で眠っている八雲奏太が目を開ける気配はない。
睡眠時間が短いぶん、眠りが深い性質なんだろうか?
寝室。そしてベッド。パパとママはそこを二人だけのものにしていたし、アンディも彼のベッドにぼくを入れてはくれなかった(数人の男性と数人の女性だけが、そこに入ることを許されていた。当時の話だ)。
八雲奏太はどんなつもりでぼくを……と、真剣に考えたのが遠い昔のことのようだ。彼はぼくの知っている人たちのようには考えていない。〝眠るときに身体を横たえる場所〟。さしずめそんなところだろう。
手を伸ばし、緩くカーブした鬱陶しい前髪を指先で掻きわける。「彫が深い」というより、「窪んでいる」という印象を与える目元。鼻が高く、唇がうすい。眠っている八雲奏太はいつもより老けて見える。色のないうすい唇がわずかに開いている。呼吸は、息を潜めていなければ聞き洩らしそうなほどに微かだ。
痩せているせいか鎖骨がひどく出っ張っている。彼が寝間着にしているカットソーは襟ぐりの大きく開いたもので、筋肉も贅肉もない八雲奏太の胸元は見ているほうが寒さを感じるほど頼りない。
髪に這わせた指先を首筋に下ろすと、温みと脈が感じられた。
ほっと息をついた瞬間、掠れた声が耳に届いた。

 

「……なに……」

 

うすい瞼が開き、びっくりするほど黒い目が現れる。水の中にスポイトで黒の絵の具を落としたみたい。濡れた黒だ。

 

「あ、」

 

ごめん、と言って引っこめようとしたぼくの手を、大きな手――頼りない身体つきのわりに、この人は手ばかり大きい――が掴む。寝起きにしては思いのほか素早い動きだった。
もしかして少し前から目覚めていたんだろうか。ぼくが髪を触ったり、じっと見ていたことに気付いていた? そう思うと頬が熱くなった。

 

「離してよ」

 

「……寝てる間に、首、絞められちゃかなわない」

 

ぼそぼそと、ほとんど寝言みたいにつぶやくくせに、八雲奏太の力は強い。

 

「絞めないから、離し――」

 

て、という声は飛びでた鎖骨のあたりに吸収された。引き寄せられたぼくの身体は一瞬びくりと震えた。それはでも、引っ張られて驚いたとか、恥ずかしかったとか嫌だったとかそういうことじゃない。八雲奏太の身体が、予想外に温かかったからだ。
細い胴に腕を回してぴたりと身体のすきまを埋めたら、瞬間、涙がでそうなくらい温かかった。慣れたホテルで浴びるシャワーより、冬のココアの一口目より、ぼくの心を温めた。
――変なの。眠っていると死んでいるみたいに見える人なのに、触ると温かいなんてさ――
心の中で茶化してみたけれど、全然効果はなかった。ぼくの心臓は破けそうなくらいどきどきしていて、腕も、足も、皮膚とか細胞レベルで、八雲奏太の身体にくっつきたがっていた。背中に回した腕に力をこめたら、八雲奏太が小さく笑った。

 

「苦しい」

 

あのね八雲奏太
ぼくは、誰かの隣で眠ったことがなかったんだよ
いままで、なかったんだ
たとえこれがあなたにとって意味のないことでも
ぼくには
八雲奏太

 

「絞めないから、抱きしめて」

 

それで、鍵をかけて。いまだけここが、ぼくのお城だっていうしるしに。
あなたの腕で鍵をかけてよ。

 

 

 

 

 

*fin*

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