*Boyfriend*

 

 

 

「だいたいあいつは」っていうのが、あきらの口癖だ。おれが聞くときの「あいつ」は百発百中ユキヒトのこと。

 

「だいたいあいつは要領が悪いんだ。自分の会社だろ?それなのになんで、急な仕事が入ったりするんだ?なんで夕飯の数時間も捻出できないんだ?」

 

あきらの怒り方はおれにはちょっと女の子っぽく感じられる。どーんと爆発することはほとんどなくて、ぶつぶつねちねち、ひとりごとのように小言を言い続けるタイプなのだ。
一人暮らし用にしては広めのキッチンで中華鍋の前に立つあきらの半歩後ろで、おれはつめたい牛乳を飲んでいる。つめたい牛乳はいつ飲んでもおいしい。いつも変わらないっていうのは大事なことだとおもう。
牛乳が入っているのはバカラのグラスで、もちろんおれの趣味でもあきらの趣味でもなく、ユキヒトが買ってきたものだ。たぶん牛乳を入れるためのものではないのだろうけど、おれもあきらもほとんどお酒は飲まない。バカラのグラスに注がれるのは、たいていコーラか牛乳か麦茶かカルピス。
こうばしく部屋の中に立ち込める油の香りと比例して、ぶんぶん回る換気扇の音はちょっと苦しそうだ。一時間以上フル稼働だものね。油まみれのフィルタを想像しておれは肩を竦めた。まあ、掃除するのはおれじゃないけどね。
あきらはねちねち怒りながら、それでも予定通り中華料理を作り続けている。
おれたちは少なくとも一ヶ月に一度はこうして一緒に食事をすることにしている。おれたちっていうのは、おれと、あきらと、ユキヒトの三人。この月に一度の食事会は外食じゃなくてうちで、って決めているので、必然的に作るのはあきらになる。
「月に一度は集まって食事をしよう」と言い出したのはユキヒトだったけれど、それはどう見てもあきらのための提案だった。
離れて暮らすようになって、一番寂しがっているのはあきらだ。本人は「幸仁は放っておくと飯も碌に食わないから」とか「体調崩しても気付かないから」とか理由をつけて(べつに訊いてないのに)連絡を取っているけれど、おれから見ればそれはただ寂しがっているだけだった。ユキヒトがすぐに恋人と別れてしまうのは、あきらのせいなんじゃないの、とおもう。
彼らのような関係を、一般的に”親友”と言うのだそうだ。
おれにはさっぱりわからない。そもそも一般的ってなあに。

 

「だいたいあいつが言い出したんだぜ?このくそ暑いのに、中華料理が食いたいなんて」

 

あきらはこめかみに汗の粒を浮かべながら、中華鍋で豚肉を揚げている。酢豚を作るのだろう。まな板の上には、ピーマン・たまねぎ・にんじんの他に、小さく切った缶詰のパイナップルが用意されている。
パイナップル入りが好きなのは、三人の中ではおれだけ。あきらは「正直いらねえと思う」らしいし、ユキヒトは「あってもなくても構わない」らしい。甘くておいしいから、おれは好き。

 

「あきら、張り切って準備してたもんねえ」

 

「張り切ってねえし」

 

慰めるつもりで言ったのに、ぎろりと睨まれた。
でも、中華鍋なんてこのために買ったようなものじゃないの。って、おもうけれど言わないでおく。おれだって学習するんだから。

 

 

 

ユキヒトは最近、確かにちょっと忙しい。
電話をかけても留守電になることが多いし、折り返しかけてくるときの声は心なしか疲れているように聞こえるとあきらが心配するのも無理はない。だってほんとうに元気がないんだもん。
あきらには内緒だけど、実は昨日ユキヒトと会った。ドラマの撮影現場に突然現れたのだ。その行動自体、ユキヒトが結構参っている証拠だと言える。
カットの声がかかるまで気付かなかったけれど、かかった瞬間スタジオの隅に視線が引き寄せられた(ユキヒトはとっても目立つからね)。
白のワイシャツにグレイのスーツ。ネクタイはブルーのしまもようのやつで、おれがプレゼントしたものだった。

 

――ユキヒト!どうしたの――

 

スタジオにいたスタッフや共演者の好奇の視線を感じなかったわけではないけれど、おれはユキヒトのそばに駆け寄って、言いながら首筋に両腕を回した。視界の端に顔を青くしているマネージャーの宇津木くんがちらっと映った。けど、見なかったことにする。

 

――ネクタイをね、朝、締めたら、海に会いたくなった。知人に頼んで入れてもらったんだ。仕事中にごめん――

 

かぎ慣れた香水のかおりを鼻から肺にいっぱい吸い込んで、背伸びをしてぎゅっと抱きしめた。ユキヒトがときどき見せる繊細さがとても好き。子供っぽくて痛々しくて、おれたちはすごく似ているなって感じる。

 

――忙しいの?だいじょうぶ?――

 

耳元で囁いたら、凛々しい眉をわずかに下げたユキヒトは、予想通り首を横に振ってにっこり笑った。

 

――It's OK――

 

イッツ・オーケー。全然オーケーじゃないくせに笑うあたり、ユキヒトも日本人だねっておもう。
「明日楽しみにしてる」と言って頬に軽くキスをしたら、少しだけ困った顔をしていた。この時点で来られないかもっておもっていたんだろうな。

 

 

 

案の定、次の日の夜――つまり今日、ついさっきユキヒトから電話があった。
あきらの携帯電話がダイニングテーブルの上で震えたとき、おれとあきらは二人で餃子の種を皮で包んでいるところだった。あきらがあんまり大量に作るので内心ハラハラしていたところに響いた着信だったから、おれの繊細な胃はちょっとだけ痛んだね。
機嫌が悪いとき、あきらは言葉少なだ。ユキヒトからの電話も、「うん」「おお」「あっそ」「わかった」の四種類をローテーションさせて数分で切ってしまった。
それから少しの間は無言で餃子を包んでいたけれど、「ユキヒト、来られないの?」とおれが訊いたのを皮切りに怒りが込み上げだしたのだった。
あまり大きくないテーブルが大量の中華料理でどんどん埋まっていく。おれは役に立たないながらも、テーブルの上のパソコンをどけたり自分の仕事用の資料をかき集めて床に置いたりしながら場所をあけるけれど、それも追いつかないくらい。
酢豚に炒飯、焼き餃子、たまごスープときくらげの入った中華風サラダ――並んだ大量の料理を見ながら、(ねえ、おれたち、若いって言ったってもうアラサーなんだよ?)という気分になった。胃もたれも肌荒れも、気にするべきじゃないかなあ。

 

「だいたいあいつは、」

 

バカラのグラスに麦茶を注いで、テーブルについてあきらは言う。さっきから同じ言葉を何度繰り返すのだろうと呆れるけれど、目のふちのところを微かに紅くしているあきらの拗ねた顔は可愛い。

 

「あいつは俺を信頼してない」

 

ぱきっと割った割り箸の、ささくれたところをむしってからおれに手渡す。小さな子供にするみたいなこの行為は、おれだけ特別にしてもらえる――と言いたいところだけどそうではない。あきらはユキヒトに割り箸を割って渡すときも同じようにする。

 

「信頼?」

 

イタダキマス、と言ってからまずたまごスープを飲んだ。
そうしているうちに、目の前の取り皿にサラダと酢豚が取り分けられた。サラダには蒸した鶏を細かく裂いたものと、ほそく切ったきゅうりが入っている。きくらげの食感が楽しい。

 

「俺だって別にガキじゃねえんだから、予定が駄目になったことを怒ってるわけじゃない。ただ、どう考えても大丈夫じゃないときに、”大丈夫だ”って言われると腹が立つんだよ。信じられてないし、頼られてないんだって思うだろ。……だいたいあいつはなんだってオールライトとかイッツ・オーケーとか、ちょいちょい英語を使ってくるんだよ。なんか誤魔化されてる気がする」

 

「……」

 

どっさり取り分けられた酢豚の肉を口に入れて噛むと、からっと揚がったそれから肉汁がじんわり出てきた。動物性の油を取るとちょっといやらしい気持ちになるのはどうしてだろう。むしゃくしゃして怒っているあきらの唇が油で光ってぷりぷりしていておいしそうだなとおもう。

 

「あきらだって言うじゃん。ユキヒトに”大丈夫か?”って訊かれたら、”大丈夫だ”って」

 

「それは、」

 

「そういうのが”親友”って言うんじゃないの。信じたり頼り合ったりするって、べつに必要以上にべたべたするってこととはイコールじゃないとおもうな」

 

なにか反論しかけたあきらの言葉を遮るように早口で言うと、眉間に皺を寄せたあきらはそのままの表情で押し黙った。どうやら結構きいたみたい。
ほんとうのところ、おれは”親友”なんてちっともわからないし、わかりたいとも思わない。いらないしね。それに、あきらとユキヒトはじゅうぶん必要以上にべたべたしているって感じるけれど、言ったらやきもちみたいだから言わない。
椅子から腰を上げて立ち上がり、おれは中華料理のもりもり乗ったテーブル越しにあきらの唇に唇をつけた。
あきらは驚いて一瞬びくりとしたけれど、口づけはすぐに口内を探るような深いものに変わった。
座っているあきらの腿の上に座って抱き合い、汗ばんでわずかに湿ったタンクトップ越しに肩甲骨を触る。耳の軟骨のところをかぷかぷ噛むと、あきらが小さな笑い声を漏らした。やっと笑ったね。
正直――と、あきらのジーンズのボタンに手をかけながらおもう。正直、あきらがおれのことだけを考えているのって、エッチをしているときだけなんじゃないかな、って。
幸仁・幸仁・幸仁、ってあきらはいっつもうるさいよ。「世界一大事な友達なんだ」なんて、恋人であるおれの前で口に出すなんてデリカシーがない。
ボクサーパンツの膨らみにそうっと手を添えた瞬間、テーブルの上にあったあきらの携帯電話がふたたび震えた。
おれたちは至近距離で目を合わせる。頬を上気させていたあきらが、可愛い瞬きを繰り返した。
そうして、なんのためらいもなく携帯電話を手に取った。恋人を膝にのせて、ジーンズをだらしなく下したまま。アンビリーバボーだよ。

 

「もしもし」

 

嬉しいときも、あきらは言葉少なだ。「うん」「おお」「あっそ」「わかった」の四種類のローテーションでほとんど済んでしまう。
おれは腿に乗っかったままだったけれど、膨らみからは手を離した。あきらが最後に、

 

「気色わりいんだよアホ」

 

って言って歯を見せて笑ったから、こりゃ、もうおあずけだなって理解したの。おれ、賢いから。

 

「ユキヒト、来るって?」

 

「ん。なんか来られるようになったんだって」

 

「だいじょうぶなの?仕事」

 

「大丈夫なんじゃねえの。大丈夫だって言うんだから」

 

さっきと言っていることがまったく違う。呆れてついたため息をに気付かないあきらは、おれを引っぺがすように退かせると、

 

「あ。やっべ。幸仁が来るなら米焚いておかなきゃ。あいつ酒飲まないときは白米食うようになったんだよ、最近」

 

と言ってジーンズを穿きなおしキッチンに戻っていく。
その後姿を見送りながら、おれは仕方なく自分の席に腰を下ろした。でもすぐに立ち上がり、ユキヒトのための取り皿やグラスを用意する。箸はあきらが割ってあげるのだろうか、と考えたらちょっとむっとしたので、先にぱきっと割っておいた。片方が鋭く尖ったいびつな箸になったけれど、「おれが割ったんだよ」って言えばユキヒトはきっとにっこり笑う。

 

 

 

もうすぐ、玄関の扉が開いて、
あきらのボーイフレンドがやって来る。
飾る花瓶なんかないって文句を言われるのはわかっているのに、ばかみたいに大きな花束を抱えて。
食べ切れないって怒られるほどたくさんのアイスクリームを抱えて。
おれたちのボーイフレンドがやって来る。

 

 

 

 


*fin*

 

 

 

 

 

 

 

 

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