*恋の話*

 

 

 

ぼくは失恋をした。一昨日の話だ。

 

「今日、ちょっと、めし食いにいこうぜ」

 

なんて言われたときから、嫌な予感がするなと思っていた。ぼくはいつもの社員食堂で、彼が頼んだ酢豚定食を見るともなく見ながら、「今日?」と答えた。まるで、今日はちょっと予定があるんだけどな、みたいな口調で。

 

「駄目か?」と彼は言った。きりっとした眉が八の字になるのを見たくてそう答えたんだよ、ほんとうは予定なんかないし、あったとしてもお前を優先するに決まってる――と、もちろんぼくは言わない。

 

「ちょっと待って」と言って携帯電話を操作し、「大丈夫だよ」と答える。初期設定のままのスケジュールアプリを閉じる。

 

彼はひどくほっとした顔をする。それからまるでその表情を恥じるように、「勿体つけやがって。彼女もいないくせに」とテーブルの下でぼくの脛を軽く蹴る。「うるさいよ」とぼくは笑う。

 

世界中のビールが飲めるという売りの店で、彼はドイツビールを、ぼくは日本のビールを飲んでいた。料理らしい料理はなく、殻つきのピーナッツや癖の強いチーズをちょびちょびと口に運んだ。

 

彼は上司の文句を言っていたかと思えば、歳の離れた妹に彼氏ができたらしいと言い、今年ももうすぐ終わるなあなんてひとりごちたりした。ぼくはそのすべてに、相応しい相槌を打った。最後の話題にも、上手く対応できるように。準備運動のつもりで。

 

「あのさ」と彼は言った。「俺、結婚するんだ」と。

 

1,驚く 2,茶化す 3,喜ぶ

 

さあどれにしようかな、と一秒ほど考えてから、

 

「そうか」

 

と、ぼくは言った。そうか。やっぱりそうか。そうだよね。

 

俯いてみたけれど涙は零れない。そういうのは、希望を持っていたときに零すものなんだろう。

 

ぼくは顔を上げてにっこり笑う。

 

「おめでとう。幸せになれよ」

 

彼が目を見開く。長いまつ毛にふちどられた(見るたびにハッとするよ)大きな茶色い瞳(女の子みたいだってからかわれたこともあるんだってね)。それに映ったぼくは、とても穏やかに微笑んでいた。親友という呼び名に相応しい顔だったと思う。

 

「……ありがとう」

 

グラスの底に残っていたビールを乾して、彼は言った。ぬるく、苦くなっていたのか、眉間に皺が寄っていた。

 

「楽しみにしてるよ。式」

 

ぼくの言葉に、彼は数秒黙って、俯き、ふふ、と笑った。

 

「スピーチお願いしますよ。感動的なやつね」

 

げえっと言うと、彼は悪戯っぽく笑った。出会ったときより皺は増えたが、出会ったときとかわらずぼくを惹きつける。

 

ぼくは失恋をした。一昨日の話だ。

 

まだ忘れることはできない。あんまりにも新しくて。

 

だけど失恋の前に恋をしたことを、

 

できれば忘れたくない。

 

この恋の話を。

 

 

 

*fin*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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