*陽太5*ともしびに願いごと

 

 

 

「ってゆーか、いくら好きでもさー会えるのが一年に一度って有り得ないよね。絶対気持ち離れるし。え?まあ、そんなん言ったら七夕のお話のロマンチックさが半減するってわかってるけどーでもー」

 

テーブルの上にがちゃがちゃと広げられた、マスカラ・毛抜き・付けまつげ・アイライナーに、きったねえパフの入ったファンデーションのコンパクト。
脚を広げて座り、大声で電話をしている姉ちゃんを横目で見ながら、そりゃあこんな女に一年に一度の逢瀬でも構わないからと言ってくれる男なんか現れっこないだろうなあって思う。

 

「わかってるって!男の前でそんなこと言うわけないじゃん。今日は××くんも来るって聞いたから気合入れて浴衣も着て行くし。××くん単純だから、浴衣姿とかドキッとするでしょ絶対!」

 

姉ちゃんの笑い声は、ギャハハ、どころか、ガハハ、だ。顔も見たことのない××くんとやらに、俺は心底同情する。
冷蔵庫から取り出したつめたい麦茶をぐぶっと飲み干してリビングをあとにした。後ろ手でドアを閉めるとき、振り返った先のソファの背に薄ピンクの浴衣がかけてあるのが目に入った。姉ちゃんが着ていくつもりにしているものだ。葉牡丹の柄は大人っぽいし悪くないけど、いくら浴衣が綺麗でも中身があれじゃあなあ……。
玄関でスニーカーのひもを結びなおしていたら、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。
太腿に細かな振動のくすぐったさを感じながら取り出すと、メールの差出人はハル――俺の親友の潮田晴生だった。
時刻は午後五時四十五分。待ち合わせ時間は六時だ。
まさか楽しみすぎて早めに着いたなんて言うんじゃないだろうな、と、ハルならじゅうぶん有り得る事態を予想しながらメールを開いた。自分が勝手にはやく着いたときは、「遅い遅い遅い」って時間通りに着いた俺に文句を言い、遅れたときは「ごめんね」って小首を傾げて笑うだけのハル。

 

『件名:じゃーん!
 本文:いい男だろ\(^o^)/』

 

ちょっとバカっぽくて短い本文をスクロールしていくと、一枚の画像が目に飛び込んできた。
添付されていたその写真は珍しくピントがずれたりボケたりしているものではなかった。
それもそのはずで、撮影者はハルではないようだ。だって、ハルの全身が写っているんだから。お母さんにでも撮って貰ったのかもしれない。

 

「……いい、男って、言うか……」

 

無意識に出た声は自分でも格好悪いと思うくらい上擦っていた。
写真の中のハルは浴衣を着ていて、嬉しそうに両腕を広げて笑っている。水色に青い金魚が泳ぐその柄はどう見ても子供用だった。いまどき、小学生でも恥ずかしがって着ないような気がする。
だからこの、「可愛いな」っていう感情は、子供に対するものなわけで。

 

――××くん単純だから、浴衣姿とかドキッとするでしょ絶対!――

 

姉ちゃんの言葉がデリカシーのない笑い方と共に頭の中に響く。
俺はため息を吐いて、やはり××くんに同情した。
単純のなにが悪いこんちくしょう。

 

 

 

 

 


今日――七月七日に行われる『桜川 燈火祭』は、このへんじゃ結構賑わうイベントだ。
一般的な夏祭りより時期はすこし早いし、規模もそんなに大きくはない。だけど昔からある商店がスタンプラリーをやったり一日限りの出店を出したりしていてぶらぶら歩くのには楽しいし、なんてったって七夕だから、あちこちに設置された笹とそこに揺れる色とりどりの短冊が鮮やかですごく綺麗だ。
小学校低学年のときは家族で行った。三・四年生の頃は友達と、誰かの親に付き添ってもらって行った。五・六年生になってからは友達同士だけで行った。
今年も誘われなかったわけじゃない。だけどメンバーが微妙に変わっていて、来られないやつが何人かいた。聞けば、”彼女”と行くのだそうだ。げえって思ったけれど、俺だって結局断ってしまったから人のことは言えない。

 

――燈火祭かあ。聞いたことはあるけど、俺、行ったことないんだよね――

 

お互い学期末テストが終わって、晴れ晴れした気持ちでレッスンに参加できるようになったある日の帰り道、自転車を押しながらハルが言った。梅雨明け宣言はないけれど、梅雨のぶんの雨は六月に終わらせてしまったんじゃないかってくらい晴天の日々が続いていて、見上げた夜空には星がちかちか光っていた。

 

――え、そうなの?――

 

――うん。うちからだと結構離れてるから。いいなーお祭り。楽しそう――

 

マッチ棒が何本も乗りそうな、くるんとカーブした長いまつ毛の横顔を見ていたら、

 

――じゃあ、行こうぜ今年は。ふ、二人で――

 

って、自分でも気付かないうちに言っていた。ハルは「えっ」ってすこし驚いたみたいに振り返ったけれど、二つ返事で「うん!」と勢いよく頷いた。
いや俺は別に、二人きりじゃなくてもいいんだよ?でもハルはなんて言うか、人懐っこいのに人見知りなんだ。最初の、ほんの数分のことだけど、頬の一番高いところをぽうっと赤く染めてもじもじしながら、「は、はじめまして」なんて言うの。なんか見てられないじゃない、そういうの。ねえ?
家を出てから待ち合わせ場所に着くまでに、浴衣姿の女の子や子供たちを何人か見かけた。浴衣なんて旅館の部屋着としてしか着たことがない俺としては、あんなぴらぴらしたもの一枚で外を歩くなんてなんだか頼りないなと思う。
最寄駅に降り立つと、華やいだ雰囲気が更に増すように感じられた。まだ半分くらいうっすらと白い、夜が始まる前の空に人々の声が雑ざる。
瞼を閉じて息を吸い込むとどこかからソースの焦げるようなにおいがした。やっぱりすこし、わくわくする。

 

「ヒナッ」

 

「わっ」

 

背中をばちんと叩かれて短く叫ぶ。振り返ると、水色の浴衣姿のハルが立っていた。紺色の帯をして、細かいしまもようのきんちゃく袋まで下げている。

 

「……ど、どんだけ気合入ってんだよ」

 

突然背後から現れたハルにびっくりしたのか、胸に手を当てるとどくどくと脈打っていた。
ひっくり返ったような俺の声に首を傾げながら、

 

「っていうかヒナは気合い入ってなさすぎ!なんだよう。ふつうの格好じゃん」

 

とハルは唇を尖らせる。きんちゃく袋を振り回す手首にリストバンドがはめられていることに気付いて、堪らずぷっと吹き出してしまった。

 

「ハル、浴衣にリストバンドはおかしくないか?」

 

「お母さんにも言われた。そんなに変かなあ」

 

「変だよ」

 

「変でもいいもん。世界に一個だけだし、気に入ってるんだから」

 

聞いているほうが恥ずかしくなるせりふを、ハルはいとも簡単に言って退ける。なんて言えばいいのかわからずに黙っていたら、「ヒナ行こう!お祭り!」とTシャツの袖を引っ張られた。
白いパイル地のリストバンドは、俺からのプレゼントだ。テスト勉強を頑張ったハルへのご褒美としてあげたものだけど、高くもないし特別なデザインでもない。スポーツ用品店に行けば今でも同じものがずらっと並んでいるだろう。
だけど、物凄く悩んで選んだものではある。アディダスは俺の好きなブランドだけど、ハルがよく身に着けているのはナイキだし、とか。ハルのイメージは白だけど、白いリストバンドなんてすぐに汚れちゃうかな、とか。っていうかそもそもご褒美っておかしいかな、とかね。
テスト期間中はまったく会えなかったからいざ渡すとなると妙に緊張して、二人きりじゃ耐え切れない気がして、スー兄に助けを求めてしまったほどだ。
そのせいで逆にハルの機嫌を損ねてしまう結果になったわけだけど……。まあ、最終的には、色々と上手くいったからよしとする。リストバンドは喜んでもらえたし、俺も”ちょっとしたもの”を貰ったし。……ものじゃないけど。

 

「なあヒナ聞いてる?」

 

「え、なに」

 

ハッと意識を戻して振り向くと、綺麗な二重瞼をぱっちりと見開き、瞳を真ん丸にしたハルの顔が真正面にあった。

 

「わっ!近!近いんだよお前!」

 

「だって何回呼んでも返事しないからさあ。ほら、あれしようよ、あれ」

 

商店街の入り口には、大きくて立派な笹で作られたアーチがあった。ハルが指で示した場所には長机が並べられ、TOMOSHIBI MATSURIとプリントされた揃いのTシャツを着たスタッフが短冊と糸を配っている。祭りの参加者はそこで願いを書き、商店街のあちこちにある笹のどれかに括り付けるのだ。
毎年恒例の光景だけど、ここ二年くらいはなんとなく避けていた場所だった。だって、顔見知りも多く来ている祭りだから願い事を発見されたら恥ずかしいし、なんかダサいし。

 

「えー。俺はいいよ。ハルはしたいならすれば」

 

「なんでしないの?ヒナもしようよ。あ、願い事見せてとか言わないからさあ」

 

「別に見られるのが嫌とかじゃなくて――わ、」

 

ぐいっと腕を引っ張られて、半ば引きずられるようになりながら長机の前に立つ。Tシャツ姿のおじさんが、

 

「はい。ぼくたちどうぞー」

 

なんて言って人のいい笑顔で短冊とペンを渡してくれるものだから、受け取らないわけにはいかなかった。

 

(願い事って言ったって……)

 

ぺらんとうすい黄色の紙を見つめながら固まる俺をよそに、ハルは背中を丸めて一生懸命書いている。覗き込もうとしたら、

 

「ヒナのエッチ」

 

などと心外なことを言われた。
ちぇっと舌打ちをしたけれど、聞こえていないのか聞く気がないのか、ハルは今にも歌い出しそうな上機嫌でペンを動かしている。
浴衣の襟が広く開いているせいか、出会った頃よりすこし日に焼けた首筋がいつも以上に細く頼りなく見えた。
金魚柄の浴衣を着て、祭りではしゃいでいるなんて子供みたい――どころか、まるっきり子供だ。
俺がいなきゃ、なんにもできないハル。
うなじから視線を外し、ペンのふたを開けて短冊に向かった。

 

 

 

いつの間にかすっかり日が沈み、町のあちらこちらに灯りが灯りはじめる。飲食店が並ぶ場所はどうしてもがやがやした感じが否めないけれど、商店街の出口に近づくにつれて、ぼんやりと浮かび上がるろうそくの灯りがまぼろしみたいに見えてくる。

 

「へえ、ほもしびまふりっへ」

 

「口の中のものを飲み込んでから言え」

 

隣を歩くハルは、初っ端にチョコバナナを食べて、次に海鮮焼きそばを食べて、今はたこ焼きを頬張っている。もちろん全部食べ切れるわけもないから、三つとも半分は俺が食べてやった。それでも、商店街に入った瞬間片っ端から「あれも食べたい」「あっちも買う」と言ってちょこまか動くハルをどうにか宥めて絞らせた三種類だ。
すれ違うカップルや女の子のグループが、ハルを見てくすくす笑う。聞こえてくるのは「可愛いね」という言葉で、からかっているわけではなくて肯定的な響きを含んではいるのだけれどなんとなく気に食わない。
見るなよ、って思うのは、どうしてなんだろう。

 

「ねえ、燈火祭って、どういうお祭なんだろう?」

 

ごくん、と喉を上下させてからハルが言う。振り向いた口元にソースがついていた。

 

「バカハル。ソースついてる」

 

「えっ。どこ?」

 

反射的に浴衣の袖で口元を拭おうとするので、慌てて腕を掴んだ。

 

「袖で拭こうとすんなよバカ、せっかく可愛いのに汚れ――」

 

咄嗟に言ってから、ハッと気付く。

 

(いや、可愛いっていうのはつまり、子供に対して言う感覚のもので、つまり……)

 

と、慌てたのは俺だけだったらしい。ハルは「あ、汚したらお母さんに怒られる」と言って、しまもようのきんちゃく袋からテッシュを取り出している。
自分のバカさ加減が嫌になって、ソースたっぷりの大ぶりなたこ焼きを勢いよく口に放り込んだ。もちろん熱すぎて、口の中を火傷するし味なんかちっともわからない。
涙目になりつつ意地で飲み込んでから、

 

「で?なんだって?燈火祭?」

 

とハルに訊ねた。

 

「うん。なんか意味とかあるのかなあと思って。このろうそく、綺麗だけどさ」

 

あたりを見渡すと、ろうそく――つまり燈火がさっきよりも目立つように感じられた。賑やかな出店はほとんどなくなって、歩いている人も家族連れよりカップルや若い夫婦が多くなっている。
商店街を出てしまうと笹がなくなるので、俺はずっとポケットに入れていた短冊を出口に一番近い笹のなるべく目立たない場所に括り付けた。
ハルが覗こうとするので、「エッチ」と言って隠したら、「そんなエッチな願いごとなの?」ってにやにやされた。
『桜川 燈火祭』という名前の祭だけあって、カップに入ったろうそくの灯りは川沿いまでずっと続く。あたりは民家しかなく、聞こえてくる人の声も商店街の中にいたときとは打って変わってささやかだ。ぬるい風に攫われて、他人の会話の内容はほとんど聞こえない。

 

「灯籠流しってあるだろ。あれみたいなもんなんだって」

 

「とうろう……?」

 

「死んじゃった人の魂を弔うために、お供え物とかを海や川に流すやつだよ」

 

弔う、の意味を訊かれたらどうしよう、と思ったけれど、ハルは「ふうん」と言うだけだった。

 

「まあ燈火祭の場合は、カップとか溶け残った蝋とか回収しなきゃいけないから川には流さないけどな。灯りに誘われて、死んじゃった人が来るんかなー」

 

「ふうん……」

 

足元に点々と続く燈火の、まるい灯りがハルの横顔を柔らかく照らす。数分前までたこ焼きを頬張っていたとは思えない、大人びた表情がなんだか切なかった。
どうした?って訊こうかと思ったら、並んで歩いていた指先がそっと触れた。それから驚いたことに、ハルの指が絡んできた。

 

「え、は、ハル、」

 

「悲しくないのかな」

 

狼狽える俺なんか見えていないみたいに、ハルの視線はずっと続く灯りを見つめていた。まるで、この手を離したらどこかに導かれて行ってしまうようにすら感じられた。可愛い、じゃなくて、綺麗だと思った。

 

「トムラウ、ってなんかよくわかんないけど……。みんなが楽しそうに、浴衣着て出かけたり美味しいもの食べたりしてるの見たら、死んじゃった人は悲しくないのかな」

 

ぎゅうっと強く握ってくる手がひどく心細そうで、俺も同じくらい強く握り返した。
考えているハルの横顔があんまり綺麗で、真剣で、たとえば適当に「楽しんでる姿を見せることが弔いなんだよ」なんて、ドラマかなにかの受け売りみたいなことは言えなかった。
俺にもわからない。ただ、ハルの手を離さないでおこうって、いまはそれだけ思う。

 

 

 

川のそばをぐるりと歩き、橋を渡ったところでUターンして駅のほうへ戻ることにした。
じんわり汗ばみだしたこの手をいつ離そうか、離したくないな、でも仲良くおてて繋いでって歳でもないから、人に会うとまずいしなあなんてぐちゃぐちゃ考えていた。
そんな俺の頭の中なんてまったく想像していないハルは、

 

「涼しいね。星も綺麗だし、今日みたいな天気なら織姫様と彦星様もきっと会えただろうなあ」

 

そう言って、喉を反らすようにして夜空を見上げている。でっかい瞳にきらきらと星が反射して、笑っているはずなのに泣いているみたいにも見えた。
慣れない下駄を履いているせいか、ハルの歩調はゆっくりだ。

 

「ん、そうだな。――足、痛くないか?」

 

大丈夫、って笑って言うだろうと思っていたら、「うーん」とハルは首を傾げた。

 

「鼻緒のところがちょっと痛い」

 

「え、マジ?じゃあどっかで休む?川原でもいいけど虫多いしなあ……。もうちょっと先に行けばファーストフードとかあった気が、」

 

「ヒナおんぶ」

 

繋いだ手をぶらぶらと前後に揺らして、ねだるようにハルが言う。

 

「え」

 

それはさすがに恥ずかしいのでは、と思ったけれど、「ヒナおんぶ!」と半ば命令口調で言われて自然と首が縦に動いた。
片方の膝をついてしゃがみ、両手を広げる。背中に、ふんわりしたハルの重みと、それに似つかわしくないくらい熱い体温を感じた。それから、少しはやい心音も。
ハルは小さくて軽いけど、練習生の中で”ちびコンビ”って言われているくらいだから、俺だってそう頼りになる体型ではない。姉ちゃんや母さんに「ペラッペラ」とからかわれる背中を、ハルはどう感じているんだろう。

 

「ヒナ」

 

俺の右肩に頭を預けているハルの声は、じんわりと優しく響いてくる。

 

「なに」

 

「”にんにく”」

 

「……しりとりかよ。く?”くま”」

 

「”マンゴーアイス”」

 

「す?す……」

 

(……す……。す……?)

 

言いたいことが、あるような気はするけれど。

 

「す、”スイカは野菜の仲間です”」

 

「なにそれ。最後、”す”?」

 

ふふふ、とハルが笑う。こんなに近くにいるのに、どっかに行っちゃいそうな儚さで。

 

「そう。”す”」

 

「……”スキー……板!”」

 

耳元で聞こえたその声に、俺の心臓が大きく鳴った。背中越しに聞こえちゃったんじゃないかって、心配になるほどに大きく。

 

 

 

視線の先にあるぼんやりした燈火が、
いつまでもいつまでも、
ぼんやりしたまま近づいて来なきゃいいのにな。

 

そんなふうに、
願った。

 

 

 

 

 

*To be……*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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