*陽太2*きみの一歩先

 

女が嫌いだ、と言うと、姉ちゃんは「ふん」と鼻で笑う。母さんは「アラアラ」と、声には出さないけれどそう言うときとまったく同じ顔で笑う。父さんはノーコメント。我が家は断然女が強い。

 

「”女、女”って言ってると、クラスの女の子に嫌われるわよ」

 

ふん、という表情のまま姉ちゃんが言う。花びらがプリントされたお茶碗を持ち上げる手の先には、同じ色の小さな爪がついている。校則違反じゃねえのって思いながらもそこから目を逸らす。女っぽいのって苦手なんだ。

 

「いいよ別に嫌われても」

 

白いご飯の上に海苔の佃煮をどばっとのせてかきこんだ。茶色く甘くなったご飯を歯ですりつぶしながら、腿の上で短く震えた携帯電話をちらっと確認する。携帯電話を食卓に置いておくことは禁止されていて、腿の上だって、見つかれば小言を言われるに違いない。
つるつるした画面に新着メッセージがある旨が表示されているのを見て、俺は茶碗に残っていたご飯を急いで全部口に入れた。「ゆっくり食べなさい」と母さんが言い、「がさつー」と姉ちゃんが言い、父さんはやはりノーコメント。俺ももちろん、ノーコメント。

 

「ごちそうさまっ」

 

ぐぶっとお茶を飲んで、言うや否や立ち上がった。あまりの勢いに、「今日はなにかあるの?急いでるの?」と母さんが心配そうな声で言う。お弁当の用意がまだ済んでいないからだろう。

 

「いつも通りだよ。大丈夫。歯磨きしてくるっ」

 

リビングのドアを後ろ手で閉めながら、遠くにいる相手に叫ぶようにして言った。母さんは、「あらそうなの」と、なぜか不服気な顔をする。「びっくりさせないでほしいわ、まったく」勝手にびっくりしたくせによく言うぜ。
ドアを閉めてしまうと、同じ家の中とは思えないくらい静かだ。クーラーのあるリビングをは違って空気は生ぬるいけれど、湿気がないぶんべったりとはしていない。二階への階段を一歩一歩上がりながら、がまん出来ずにメッセージを確認した。
差出人は、潮田晴生。登録名は”ハル”。
内容はすごく短かった。それに、ゆうべも、電話で確認したことだった。

 

『今日は掃除当番じゃないから、三時十五分くらいにはマックに行けると思う!』

 

「……何回言うんだよ、バカハル」

 

画面に向かって言った。声が出たのは無意識で、俺はハッと口元を押さえた。急いで階段を振り返ったけれど、姉ちゃんも母さんもいなかったのでほっとした。にやけた顔でひとりごとなんか言っていた日にはどんな噂話をでっち上げられるかわかったものじゃない。
ハルは俺と同じく、大手芸能事務所ブルーマーブル・エンターテイメントの練習生だ。
歳は同じだけど、練習生としては俺のほうが一年先輩。ダンス歴で言えば、もっともっと先輩である。
だからなのか、同い年でも、ハルは俺より子供っぽい感じがする。レッスンにも忘れものが多いし、なんにもないところでよくつまずく。朝寝坊がひどいせいで親に「後一回遅刻したらレッスン禁止」なんて言われているから、毎朝俺が電話をして起こしてやっている。すごく手がかかるやつなんだ。
「俺たちって親友だよな」と、恥ずかしげもなくハルは言う。こぼれ落ちそうな瞳をきらきらさせて。
俺は、「おう」って答えるけれど、実はちょっと違うなって思っているんだ。
ふつうさ、親友を、「守ってやりたい」なんて思わないだろ?気持ち悪いじゃん、そんなの。
でも、ハルのことは守ってやりたい。兄貴みたいな気分なんだ。ハルはなにも知らないから、色んなことから守ってやらなくちゃいけない。
色んなこと……たとえば、そうだな。
鬱陶しい女とか。ね。

 

 

 

俺、ずっと弟が欲しかった。
姉ちゃんにこき使われるとき――わざわざ、家から遠いほうのコンビニにしかない限定のお菓子を買って来いって言われるとかさ――、「俺に弟がいたら、絶対こんな思いさせない」っていつも考えてた。絶対大事にするんだって。
ハンバーガーを頬張るハルの口元を見ながらそんなことを思い出していた。すごく距離が近いから、一瞬だけ喉の奥が見える。上あごのぎざぎざ。小さくて白い歯。
ばふっ!唇に捉えられたバンズがしぼむ。それと引き換えに頬が膨らむ。
こいつの口がしっかり閉まっているのはなにか食べているときだけだ。そう思うと俺はちょっと笑ってしまう。

 

「……なに笑ってんの?」

 

キョトン、という言葉を考えた人は、天才。首を傾げる姿は、キョトン以外のなにものでもない。

 

「なーんでも。美味いか?」

 

「ん、美味しい!俺、ハンバーガーの中でてりやきバーガーがいちばん好き!」

 

ヒナは? と、ハルは言う。そんなこと考えたこともなかったな、と俺は思う。
身体どころか表情にすら落ち着きがない。瞬きを繰り返すのは癖なのだろうか。
人一倍目がでかいから、他の人よりも乾く速度が速い?――なんて、バカバカしいよな。たぶん、やっぱりただ落ち着きがないだけ。

 

「チーズバーガーかな」

 

適当に答えたら、ハルは「ウーン」と頷いて、

 

「チーズバーガーは、にばんめかな」

 

と、なぜか申し訳なさそうに言う。知るかよ、そんなの。ハルの口の端には、てりやきソースがついている。

 

「バカっぽい顔ー」

 

と呟くと、ハルはわかりやすくムッとする。唇をタコみたいにして突き出す。眉間に皺を寄せるので、眉と目の間隔が少し狭くなる。
通った鼻筋。長いまつ毛。
髪の毛が妙な方向にはねていても、制服のシャツがだらしなく片方だけズボンから出ていても、ハルの顔が可愛いことに違いはない。
平日の夕方のハンバーガーショップは、俺たちと同じくらいの年頃の男女で溢れかえっている。ハルとレッスン前にこうやってハンバーガーを食べるのは二回目だ。一回目は土曜日の昼間だった。ハルがなぜか突然、「ヒナの制服姿が見たい」と言い出したので、学校がなかった一回目も、学校帰りの今日も、俺たちは二人とも制服を着ている。
溢れかえる学生の中には俺の姉ちゃんが通っている高校の制服を着ている女の子もちらほらいて、そのたびちょっと背中が寒い感じがする。
見つかったらうるさいからさ。どうせでっかい声で、「キャー!陽太のお友達?カワイー!」とか言うんだぜ。ああ、やだ。女ってさ。
さっきからやたらと色んな方向から視線を感じるしね。女のひそひそ話ってのは、聞かせるためにやってんじゃないの?ってくらいよく通るよ。「ねえ、ほら、やっぱりそうだよー。この前もいたじゃん」「えー練習生の子かな?」「声かけてみれば?」「小っちゃくてカワイー」。そりゃあ、わざと短くした制服のプリーツスカートからハムみたいな足を覗かせているよりは可愛いだろうよ。小さいって、でも、余計だ。

 

「――る派?」

 

「えっ」

 

「もー。ぼーっとするなよ。話してるのに」

 

ハルのトレイの隅には、くしゃくしゃに丸められた黄色い紙があった。いつの間にかハンバーガーを食べ終えたらしい。

 

「なに?大事な話?」

 

「うん。だから、ポテトにケチャップつける派?っていう話」

 

それのどこが大事なんだよ、と思うけれど、ハルの顔は真剣だ。俺も真剣に考えるふりをして、

 

「つけない派」

 

と答える。でも、これはちょっと嘘。姉ちゃんがいるときは、「つけたほうが美味しいって」ってうるさいからつけるし、一人のときは「ケチャップください」って言うのが面倒だからつけない。って、これこそどうでもいい話なんだけど。

 

「俺もー。一緒だ。なんかさ、うち、お母さんもお父さんも姉ちゃんもつける派なんだよな。俺だけ少数派なの」

 

ちょっとバカだけど素直で可愛い弟。そうそう、俺、こういう弟が欲しかったんだよな。なんだか愉快な気持ちになってまた笑うと、「ご機嫌だね、ヒナ」とハルは不思議そうな顔をしている。てりやきソースはついたままで、俺は笑いながら自分の口の端を指でトントンと示す。もちろん、「ついてるぞ」って言ってやるまでハルは首を傾げたままだ。
「声かけてみようよー」というひそひそ話が後頭部のあたりに聞こえてきて、俺は席を立った。そうするとこれまたわかりやすく、「あー行っちゃうのかな、ざんねーん」って聞こえてくる。

 

「あれ?もう出るの?まだちょっと早いよ」

 

最後にちょっとだけ残っていたポテトをわしっと掴んで口に入れながら、ハルがつられて立ち上がった。
あんなにわかりやすく聞こえてくる声や刺さっている視線に全然気付かないハルって、バカを通り越して結構大物だなーと思う。
後ろから腕を回して勢いよく羽交い絞めにすると、突然のことに上半身をよろよろさせながら、「なんだよっ」ってハルが笑う。

 

「なーんでも」

 

じたばたするハルは体温は高くて、でも夏でもからっと乾いている。
ハルは青い自転車を押しながら、俺はハルの隣に並びながら、練習生が集まるレッスンスタジオのビルまで歩く。ビルが近づくにつれ、学生の姿よりもサラリーマンの姿のほうが多くなる。夕方のオフィス街はでも、人が少ない。
俺が車道側を歩いてやっているなんて、ハルは全然気付かないんだろうな。まったく。
夕方でもまだまだ眩しい日の光に目を細める横顔が、すくすく育ったゴールデンレトリーバーみたい。
ハルの髪をかすかな風が撫でていく。

 

 

 

レッスンスタジオのあるビルの前には、いつも数人の女が固まってたむろしている。
だいたい七、八人くらい。土曜日や祝日なんかは、二十人近くいるときもある。いわゆる「入待ち・出待ち」ってやつらしい。
練習生の中にはテレビに出ている人もすこしはいるけれど、彼女らが待っているのはどちらかというと、まだテレビに出たことのないような人だという。これは姉ちゃんの情報で、「青田買いって言うのよ、そういうの」となぜか偉そうに言っていた。「ふうん」と答えたけれど、意味はよくわかっていない。
いずれにせよ、ビルに出入りするたびに全身をじろじろ見られるのがすごく嫌だ。中には携帯電話で写真を撮っている女もいて、俺は、ペットショップで売られている動物みたいな気分になる。そういうずうずうしいことをするくせに、ちょっと目が合うと恥ずかしそうにお互い身体を寄せ合って笑うんだ。

 

「女の子、今日もいるね。私服の人は大学生なのかな?」

 

ビルの裏手の駐輪場に自転車を停めて、おもてに回ってきたハルがきょろきょろしながら言う。
ハルといるときは一人のときよりもずっと視線を多く感じるので、俺は無意識に早歩きになりながら「知らねえ」と短く答えた。今日は私服姿が四人で、制服姿が三人。

 

「誰のファンなのかなあ。このビルには練習生とブルーマーブルの社員さんしかこないのにね」

 

「さあな。スー兄はときどき手紙とかもらってるけど――」

 

俺たちには関係のない話だよ、と、言おうと振り返った瞬間だった。制服三人組のうちの一人が、「あのっ」と声をかけてきたのは。
俺たちはちょうど、ビルの入り口の階段を上っていた。目の前にはセキュリティカードを通して入るドアがあり、そのドアの前には警備員の男が置物のように立っている。こういうふうに声をかけてくる女の中には、物騒なのもいるからね。
まあ、声をかけてきた……って言っても、俺にじゃなかった。
ハルに、声をかけてきたのだ。

 

「――あの、手紙、受け取ってもらえますか?」

 

女の制服を見ると、このへんじゃ結構有名なお嬢様学校のそれだった。脚だってハムみたいでも大根みたいでもなかったし、妙な厚化粧でもない。つまり、結構可愛い女だった。

 

「……へ……?」

 

ハルはバカみたいに口をぽっかり開けて、三段ほど下にいる制服女をじっと見つめた。その後ろには、取り巻きらしき二人の制服女が、応援しているつもりなのか拳を握って見守っている。

 

「……ハル、早くしろよ」

 

固まっているハルの頭を軽く小突く。制服女はハルがなかなか手紙を受け取らないものだから、手を引っ込められずに視線をさ迷わせていた。ハルもやっとそれに気付いて、「あ、はい。えっと、ごめんなさい」と、小さな声でなぜか謝りながらそれを受け取った。
花柄の封筒には、小さな丸い文字で『潮田晴生くんへ』と書いてある。ちらっと横目で見ると、俺の視線に気付いたハルは慌ててそれをかばんに仕舞った。
これには、ちょっとむかついた。
階段を一段飛ばしでぐんぐん上がる。警備員の前を通り過ぎるとき、ぶつかった視線に同情の色が浮かんでいるような気がしてまたむかついた。後ろでハルが、「あ、ありがとーございます」と言い、それに対して女たちが「きゃあ」と短い歓声を上げたのが聞こえてマックスむかついた。
セキュリティカードを通してビルに入り、受付のおばさんに「こんにちは」と機械的に言ってエレベーターの前まで一歩も止まらずに進んだ。

 

「ま、待って。待てってばヒナ」

 

赤い顔をしながら小走りにやってきたハルが、隣に並んで立ち止まり、息を短く吐いた。
エレベーターのドアが開く。俺は四角い無人の箱を睨みながらそれに乗り込む。

 

「びっくりした。手紙なんか初めて貰った。……なんで名前知ってるんだろうね」

 

エレベーターは、ドアの面を覗く三方が鏡になっている。見たくなくても、ぽうっと頬を赤くしたハルが映っているのが視界に入った。もちろん、むっつりしている自分の顔も。

 

「さあ。でもよかったじゃん。可愛い女でさ」

 

腕組みをして手摺にもたれた。ロッカールームは五階だ。すぐについてしまうってわかっていたけれど、にやけているハルもぶすくれている自分も見たくなくて瞼を閉じた。
認めたくないけれど、嫉妬だった。そりゃあ、こういうことが今まで一度もなかったわけじゃない。スー兄と一緒に帰るときなんかには、結構な頻度でスー兄だけが呼び止められた。でも腹は立たなかった。スー兄は同期とは言え二つ年上だ。女の扱いだって、なんていうかちょっと慣れている。格好いいなって思うときもあるくらい。
でも、ハルが相手じゃそんなふうには思えない。俺よりもちびで、ダンス歴だって浅くて、練習生になったのだって数か月前で……。なのに……。

 

「えっ可愛かったかなあ?」

 

心の底から不思議そうなハルの声で思考回路が遮断された。眉間に皺を寄せたまま瞼を開くと、首を傾げたハルがいた。

 

「……なんだよ、舞い上がってて顔も見てないのかよ」

 

「え、見たけど。可愛かった?俺、よくわかんない。クラスでも、みんなが可愛いって言う女の子のどこが可愛いのか、よくわかんないんだよな」

 

ほんとうにわからないらしく、唇を尖らせて片眉だけ器用に上げたハルは、「うーん」と小さく唸った。なんだか拍子抜けしてしまう。

 

「お前、それその子の前で言うなよ。ひっぱたかれるぞ」

 

「言わないよー。でも、友達の前で言ったらシーンとしちゃったけどね」

 

あはっ、と声を出して、今度は笑う。ハルの表情筋は物凄く柔らかいらしい。よくもまあこんなにコロコロ変わるもんだと思いながら見ていたら、ハルも俺の隣に並んで手摺にもたれた。肘が触れていたけれど、ハルがなにも言わなかったので俺も黙っていた。
エレベーターの中はすごく静かで、ハルの乾いた体温がじんわり温かい。鏡越しに俺を見てにこにこしている能天気な笑顔を見ていたら、なににむかついていたのかよくわからなくなった。
そうだ。女がなんだ。俺は女にもてるためにやってるわけじゃない。
負けたくないなら、もっと一生懸命レッスンすればいい。牛乳もたくさん飲んで、絶対にもっとでかくなる。それで、いつだってハルに、「やっぱりヒナは格好いい」って言わせればいい。俺はハルの兄貴分なんだから。
いつの間にかぴったりくっついた上半身の、細い肩に頭をのっけた。瞼をもう一度閉じたら、ハルが小さな声で、「俺さ」と話し出した。ハルの肩の骨を伝って、声が身体に響いてくる。

 

「俺、たぶん、面白い顔が好きみたい」

 

「……意味わかんね。面白い顔ってどんな顔だよ」

 

あはっ、と、ハルがまた笑う。

 

「ヒナが怒りんぼじゃなくなったら、教えてあげる」

 

「……意味わかんね。怒りんぼじゃねえし」

 

子供っぽいハルの言葉遣いに口元が自然と緩んで、俺の声にはちょっと笑みが含まれていた。

 

 

 

 


*To be……*

 

 

 

 

 

 

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